山善タイランド

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沿革

1943

創立前史
大阪で機械工具商を開業

山善の創業者・山本猛夫は、日本の福井県出身です。 14歳で生まれ故郷を出て、大阪・立売堀の機械工具商で丁稚奉公をする。

そして、8年後の22歳のときに独立、「大阪工具製作所」を開業したことで山善の歴史が幕を開ける。

しかし、当時は太平洋戦争の真っ只中。 まもなく山本にも召集令状が届き、店をたたみ沖縄戦線へ。終戦後は捕虜収容所に収容され、昭和21年の暮れに帰還した。

1947

創業者・山本猛夫が
「山善工具製販株式会社」を創立

1947年、大空襲で戦火に見舞われた大阪の街は焼け野原。 街は復興どころか復旧へようやく動き始めたばかり。 必要とされるのは機械工具よりもハンマーやスコップなど。

社名は工具だが、当面の取り扱い商品は生活復旧品とメドをつけ、同年5⽉、⼭善工具製販株式会社を創⽴した。

1962

大阪株式市場第二部に上場

10周年を迎えるころには売上規模は10億円を突破、機械工具流通業界の五指に入る会社に成長した。 創業以来の夢であった上場は明確な目標となっていった。

商品の拡大拡充と同時に、販売ネットワークの整備拡充、社内組織の整備、社員教育などを積極的に進め、創立15年目の1962年10月1日に念願の大阪株式市場第二部に上場した。

そして、翌年9月25日に東京株式市場第二部への上場を果たした。

1967

アメリカに現地法人を設立

アメリカ・カナダの業界を視察した山本は、北米地域のマーケットの大きさや今後の将来性について肌で感じ取った。

そこで当時海外最大のマーケットであったアメリカに販売拠点を開設することを決断し、1963年4月にシカゴ事務所を開設し、1967年に現地法人となった。

山善の海外進出の第一号であり、現在の海外展開の礎になっている。

1970

東京・大阪株式市場の第一部に上場

日本の高度経済成長期、山善は「モーレツ社長のモーレツ会社」として注目を浴びた。

1966年、機械工具専門商社として磐石な基礎を築き、その立場にふさわしい会社規模と内容にするため、1971年達成を目標に『第一部上場会社建設5カ年計画」を打ち出した。

経営体質の強化と社内インフラの整備に注力し、計画よりも1年早く、創立23年目にして東京・大阪株式市場の第一部上場を実現した。

1971

株式会社山善に社名変更

“機械と工具の山善”という固定的なイメージを打破し、幅広い機能・事業領域を持った専門商社へ発展することを目指し、社名を変更した。

1973

創業者をモデルにした
『どてらい男』がテレビドラマ化

1972年7月に創業者・山本猛夫をモデルにした小説『どてらい男』(花登筺・著)が発刊され、人気を博した。

翌年10月には、全国放送のテレビドラマ化された。主人公の“モーやん”が意地と度胸と知恵で困難に体当たりし、商売人として少しずつ成功の階段を上っていく生き様が注目され、平均視聴率27%、最高35%の超人気ドラマとなった。

1989

1989年(平成元年)10月 – Yamazen(Thailand)Co.,Ltd.(現・連結子会社)を設立

サトーン地区に事務所を構え、当初の社員数は日本人2名とタイ人7名だった。 CNC機械、工具、測定機器の輸入・販売業務を開始し、日本品質のサービスやメンテナンスを提供。

1991年には大規模展示会「METALEX」に初出展し、タイ事業は着実な成長を遂げます。

1991

VI(ビジュアル・アイデンティティ)を導入
社章を変更

新しい経営に移⾏し、事業領域を広げていく中で、若手メンバーを中心に委員会を発足。 ヒアリングや討論、社内募集などにより得たデータをもとに現在のロゴマークが決定した。

 

2006

2006年(平成18年) 事業成長によるサービスネットワークの拡大

事業成長に伴い、主要工業団地のあるチョンブリー県ピントンに新たな営業所を開設。 販売、及びアフターサービスを強化した。

日本の主要メーカーと協同で行なうプライベート展示会「山善ピントンショー」は、東部地域の顧客に好評を博し、毎年開催している。

2018

2018年(平成30年) サービスネットワークの更なる拡大

事業拡大に伴い、東部のナコーンラーチャシーマー県コラートに営業所を開設。 販売とアフターサービスのスピードと品質向上を図った。